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当山は慶雲元年(704)文武天皇の勅願により行基菩薩が開創した森町で一番古いお寺です。
当山は飛鳥時代から奈良時代にかけて建立された法相宗の東海の本山として周囲4Kmに及ぶ寺領を有し1300年の歴史と歴代住職139代を数え、その間数多くの傑出した高僧を排出しています。
当山16代住職慈覚大師(比叡山延暦寺第三世座主)は天長8年(831)に一山三十六坊を建立し七堂伽藍の整備を行い、これに伴い宗派も天台宗に改宗しこの地方の文化の中心地として長く隆盛を極めました。
この様に歴史に名を留めるが如く栄華を誇った当山ではあったが、明治2〜3年にかけて政府の廃仏毀釈の制度を受けて一山諸堂を廃止したために往時の面影は失われ今日小寺ではあるが、当山には往時を物語る遺品や古文書が数多く残されております。

   

 This temple is the oldest one in this town that was founded by Gyokibosatsu obeying an order of Monbu Emperor in 704. This is the main temple of Hossou sect in Tokai district which was built from Asuka era to Nara era. This temple has a land of 4 kilometers around and during this long history they have had 139 chief priests, among whom there were a lot of high priests.

 The 16th chief priest, Jikaku high priest improved the temple and changed the sect from Hosso sect to Tendai sect. This once flourished temple has become a small present one owing to the government policy of expelling Buddhism and destroying temples as well as statues of Buddha. But you can imagine the ancient flourishing times through their remains or ancient writings and so on.

全景

岩船

蓮華寺文化財記念館

観音堂

歴史民族資料館

鐘楼堂
   

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秋葉常夜灯

歴史の散歩道は、八形山古代の塩の道とも言われ、信州街道でもあり秋葉街道の名残の街道にして、馬の道と人の道とがある珍しい道で、その入口には文化10年(180余年前)の秋葉常夜灯(町文化財指定)がある。
 
安土桃山時代に西方院(袋井市)の宣舜法印が当山百十三世となった。当時は戦国時代で世は乱れ武田・徳川が森町で兵火を
交え、上人は兵乱の巷となった当山復興の念願をたて、阿弥陀堂屋敷に穴を掘り、金銀珊瑚などを敷き詰めて鉦をたたき念仏を唱えた。
7日7夜の間、鉦の音が聞こえたと伝えられ元和2年(1616)2月入定された。この地を黄金塚と人はいう。


黄金塚

 


禅勝坊塚(蓮華寺第72代禅勝上人)

正嘉2年(鎌倉時代)、法然上人より念仏の奥義を伝授せられ、遠江各地方に念仏を広めて、一宮に直心寺を建立、遠州念仏宗の開祖となり隆盛を極む。後鳥羽法皇の37回忌の大法要について御論旨を賜る。正嘉2年7月14日、阿弥陀堂屋敷に念仏を唱えて入定、五輪塔の塚がある(町指定文化財)

 
観音堂跡(平安時代初期)
円仁・慈覚大師が天長8年(832)に観音堂を建立し、聖観音像をお祀りした堂跡で、戦国時代に武田の兵火により永禄年間に焼失し徳川家康によって再興された。その後、文化10年再建されたお堂は、大正元年蓮華寺本坊に移築された。
 
古来より馬は田の神の乗物とする信仰から、馬を曳いて紙詣をする神事を初午という。
初午の縁日には鈴と衣装を付けた馬を曳いて詣でる祭りをする。
初午は蓮華寺に始まり、大洞院が二の午で三の午が法多山であった。往時は馬の往来で賑わった馬道である。


初馬由来と馬道

 


仏の道

参詣者の安全を見守って下さるお地蔵さまが道路脇に立ち並び参詣者を迎えてくれる。

 
八形山不動堂跡(奈良時代)
山頂は奇岩奇石の霊山と言われ、伝説の山としても有名で、数多くの神仏が祭祀された風光絶景の地である。僧行基が文武天皇の勅願により、慶雲元年(704)に遠江国に先駆けて不動尊増を祭祀した旧跡と伝えられたが、明治9年の野火で惜しくも堂宇を焼失した。
 
鏡石
蓮華寺37代慈海上人が平安の中期、天延2年(974)今より千有余年前八形山頂に於いて国家安穏の紫燈大護摩の秘伝を修し、火生三昧(火渡り)の修行をしたところ不動尊像が石に影じて光を放ったと伝えられ三光の鏡石と称された霊石である。
 

見晴台

竜馬ヶ谷

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